我が町は三浦半島にあります。 半島は北部が横須賀市、
南部が三浦市となっていて西部には葉山町と逗子市からなって
います。

今回からその南端にある風光明媚な三浦市にスポットを当て
その魅力をお伝えしたいと思います。 (毎土曜日を基本に)
第2回目は「青いデートナビーチ」です。

1966年(昭和41年)7月、京急電車が三浦海岸まで延伸されて都心
からおよそ70分で来れるようになりました。
するとこの海岸は一躍観光の目玉となって海水浴客の集客めざして
「青いデートナビーチ」と呼んで数多くのイベントが繰り広げられ、
京急電車も海水浴特急「三浦ビーチ号」も走らせました。
でも昭和50年代になるとマイカー化が進んで衰退していきました。
* 参考 当時の賑わい (京急社史より)

この記事へのコメント
溺愛猫的女人
みなみ
だったんですね(^_^)
(。・_・。)2k
そんなに行った事ないんですよねぇ
三浦 良いところですよね
馬場
最近は減っている感じを受けますね。
>当時の賑わい
ビックリ!!
いっぷく
夏炉冬扇
塩浴び、と言っていました。
ヤッペママ
イベントも多かったですね。
いろは
「青いデートナビーチ」素敵なネーミングですね。
当時の賑わい、凄かったのですね^^
今は静かにお散歩できますね。
mm
凄い賑わいだったのですね~昔は遊び方も少なかったですものね。
海水浴は数少ないそう言う遊びの一つだったですよね。
kiyo
夏の賑わいを、三浦海岸の賑わい、三浦海岸の海の家の賑わいで、
計っていた気がします。
各テレビ局がこぞって、三浦海岸の賑わいを放映していた気がします。
JUNKO
ぼんさん
momo
yoko-minato
まだ三浦海岸はとても賑わっていました。
当時人気者のピンクレディーのショーがあり
子供達と出かけましたが顔すらも見れませんでした。
いつの間にかショーも無くなりましたね。
mayu
海へ行かなくなって久しいです。
Take-Zee
一昔前は江ノ島海岸も同じような光景で
夏になるとTVニュースでこんな映像が流れた
ものです。
Take-Zee
国道16号線もそして京急電車も大混雑。
近隣住民には迷惑な状態でした!
Take-Zee
京成線から乗り換え無しですが都営線内が
各停で時間がかかっていけません。。
Take-Zee
今の世代には塩水が敬遠されるんですね!!
Take-Zee
静かな海岸になりました・・・
Take-Zee
プールで育った世代にはあの海水は
馴染まないんですね!
Take-Zee
夏というと海水浴でしたね・・・
友達同士でも”海何回行った?”なんて
会話したもんですね・・・(^-^)!
Take-Zee
今でもときたまマリンスポーツの大会なども
行われていますが往時の勢いはないですね!
Take-Zee
私たちが小学生、中学生のころはプールは
ありませんでした。 プール建設寄付金を
払って卒業。
ですから、泳ぐ=海でした (*-*)!
Take-Zee
そうでした!
夏のニュースの定番だったですね (^-^)!
Take-Zee
海の家、そこそこの料金払ってもロッカーも
お湯シャワーも無かったです!
ただ塩水を洗い流す水道水がありました。
Take-Zee
はい、賑わいました。
かのニッポン放送と京急がコラボして
特別列車も走って多くの人を誘致しました!!
Take-Zee
衰退の理由の一つがモータリゼーションです。
昭和50年代になるとマイカー化、電車利用が
減りました。 それに交通渋滞、海岸線の駐車場
不足で来る日ともジリ貧でした。。。
Take-Zee
改めて下の白黒写真を見て・・・・
ホントにすごい人出だったなあと思いました。
Take-Zee
まったく、嘘のようですね~!
レジャーも多様化しました (^-^)!
プー太の父
若い頃から、三浦大根と城ヶ島は知って
いましたがあとは何も知らない町でした。
すごい人ですね。泳ぐところもないですが
座るところもなく、ほんとにイモ洗い状態(^^
Take-Zee
私が成人式を迎えたころ、三浦海岸は
最高に賑わっていました!!
寒くなりますね、体調管理してください (^-^)!
tarou
いろいろなイベントが行われてましたね。
Take-Zee
そう、シーズンになると混みましたね!
金沢区に住んでましたので京急電車、
国道16号線は大混雑でした (*-*)!
みぃにゃん